いってきました、憧れの南部アフリカの旅

2014年10月7日~10月16日まで、K社のパッケージツアー「憧れの南部アフリカロマン紀行10日間」の旅に夫といっしょに参加しました。
西アフリカでエボラ出血熱の流行のさなか、勇気あるツアメンバーは成田から3人、関空から2組の夫婦合わせて7人という少人数での出発でした。
やはり、エボラの影響でしょうか、キャンセルが相次いだ、との事でした。
途中2回の乗継地「香港、ヨハネスブルグ」経て最初の目的地ケープタウン空港に着いたのは日本を離れて約25時間後でした。
今回訪れた国、南アフリカ共和国、ジンバブエ共和国、ボツワナ共和国、ザンビア共和国の4ヶ国です。
アフリカという言葉のイメージから密林、砂漠、そして猛獣のいるサバンナ、といった原始的なものばかりでした。
そのイメージ、とはうらはらに建ち並ぶ近代的なビル、おしゃれな巨大シッピングセンター、かと思えば、たくさんの野生動物が生息すつサバンナ、その対比
から自然の偉大さや、不思議さを感じた貴重な良い旅でした。

観光スケジュール

1日目

関西国際空港   18:00発
         キャセイパシフィック航空で最初の乗り継地の香港へ
                            「所要時間約4時間」
香港国際空港   21:00到着 (日本との時差ー1時間)
         香港にて成田から搭乗の添乗員さんとツアーメンバ3人と合流

香港国際空港   23:55発
         南アフリカ航空で南アフリカの玄関ヨハネスブルグへ
                            「所要時間約13時間20分」
         機内はとても綺麗で座席もゆったりとしていた。


2日目

 ヨハネスブルグオリバータン国際空港
 07:15到着  (日本との時差ー7時間)ここ一で旦荷物を受け取り入国審査を受けます。
 ヨハネスブルグオリバータン国際空港    10:05発
 ここから又乗り継いで最終目的地ケープタウンへ  「所要時間約2時間10分」
 ケープタウン国際空港 12:15到着  日本を出発してから約25時間、やっと到着しました。

 ☆ ケープタウン着後、約9000種類の植物が栽培されている
   ケープ植物区保護地域群のカーステンボッシュ公園観光。
  
 南アフリカは「花の楽園といわれる程、南アフリカ固有種が多いことで有名です。
 世界遺産にも登録されているケープ植物区地域群は総面積5530平方メートル
 「皇居の約3,7倍」の広さで、
 カーステンボッシュ公園はこのケープ植物区地域群の中にあり2万2000種類ある
 南アフリカの植物のうち
 9000種類がここで栽培、研究されている。すべての草花、樹木に名札が付けられ学名、
 通称名、産地などが記されている。
 ベストシーズンは春(8月中旬~10月中旬)です。


2日目

☆ケーブルカーに乗って街を一望できるテーブルマウンテン観光
 
 砂岩と御影石の混じった岩盤から出来た標高1086mのこの山の頂上は、
  ナイフで横に切ったように平なことからテーブルマウンテンと
 名づけられたそうです。
 現地の人はテーブルマウンテンにかかる霧や雲(テーブルクロスと呼ばれる)の具合で
 天気やケープ  ドクタと呼ばれる強風の状態を予測するという。
 山には、ヒヒ、シカ、ケープマングース、ジャコウネコ、などが生息し、
 多くの種類の野生植物が生え、  山全体が国立公園に指定されている。



2日目

☆ ポップカラーにペイントされたかわいい四角い家が並ぶマレー・クウォータ地区観光

 ケープタウンの市街地からよく見える山シグナルヒルの東側の麓にある
 マレー・クウォータ地区、
 ここに住んでいる住民は約6000人で、約9割の人がイスラム教の人達だそうです。
 多くの住民は、16世紀~17世紀の間にアフリカ、インドネシア、マレーシア、
 そしてその他のアジア人の地域から
 オランド人によって連れてこられた奴隷や移住民の子孫がすんでいる。

観光後ホテルへ   ホテルのベッドで横にして寝れたのは日本を離れて35時間後でした。
   ケープタウン泊   
   マレー・クウォータ地区の写真



3日目

      ☆ ネルソン・マンデラ前大統領が18年収容されていた
           悪名高い旧監獄島世界遺産ロベン島観光

 ケープタウンから約12kmの沖合に浮かぶロベン島は、
 周囲の海流が強く脱出が困難なところを
 見いだされ、約400年もの間監獄の島とされてきました。
 支配者たちが、政治的に問題を起こすとみなされた者や、社会で差別される者や、
 社会で不用とされる者をこ こに送りこ込みました。
   アバルトヘイト時代には、延3000人もの政治犯が収容され、
 ネルソン・マンデラ氏も18年間収容されていたことでも知られている。
 ロベン島は組織的な残忍性から広く世界に知られるようになりました。
 ロベン島は南アフリカ共和国やアフリカ大陸のシンボルであるだけでなく、大変な
   苦難と逆境を乗り越えた人類の勝利のシンボルでもあります。
 1996年に刑務所は閉鎖され、現在は島全体が博物館としてケープタウンの
 新しい観光名所となっています。
 又、1999年12月2日ユネスコ世界遺産に登録されています。
 刑務所内はこの刑務所に実際収容されていた、という人が案内してくれます。

ロベン島観光の最後に、アバルトヘイトについて詳しく!  

 アパルトヘイトとは、教科書でも必ず出てくる人類の負の歴史のひとつ。
 白人と有色人種を徹底的に差別した法律で、1948年から1994年までの
 約46年間続けられてきました。

 その差別は、低賃金・重労働から始まり、低教育(義務教育はなし→ほとんど
 教育はなされなかった)
 ・居住区や生活圏の区別(公共施設であるレストランや列車、バス、トイレなどなど)

 異なる人種との結婚などなどあらゆる事が分けられていました。

  アパルトヘイト撤廃へ導いたリーダーで、元南アフリカ8代大統領ネルソン・マンデラ氏も
 約18年間、アパルトヘイト反運動を指揮したとして1964年より収監されていました。

 このアパルトヘイトの終わりは、世界中からこの政策の非難を受け続け、
 世界各国より経済政策まで取られた後の1991年、
 当時の大統領デクラークにより法律撤廃が提唱。しかし、

 この差別は法律としてなくなっただけで続けられていました。そして1994年に、
 やっと行動として全人種による総選挙が行われたことにより、完全撤廃となりました。 



3日目

 ワイナリーに併設されたレストランで昼食後、
      世界的な評価も高まっている南アフリカのワイナリー観光

 南アフリカのワイン造りは約350年の歴史をもっている。
 オランダ東インド会社のケープ補給基地の初代総督であったヤン・ファン・リーベックが
 ブドウの苗木を植えたことが南アフリカのワイン造りの始まりです。
 ワインの生産地が集まっているところは、ケープタウンの東側一帯。
 海からの涼しい風を受け太陽がさんさんと輝く地中海性気候、ブドウの栽培に適した
 古い土壌など ワイン造りに適した条件が整っているからです。
 通称ワインランドと呼ばれるこのエリアには、ワイナリーはもちろん、
 ホテルやレストランなども多く観光客にも大変人気が高いそうです。



3日目

☆ウオータフロント地区へ、観光とショッピング
          
    ケープタウンの中心部にある旧港を再開発して建てられた、エンターティメント・スポット.
        400を越えるショップやレストラン、映画館、ホテルなどがある。



3日目

  ☆ 夕食後、シグナルヒルからの美しいケープタウンの夜景観賞 
     シグナルヒル(標高350m)は、市内中心部から西方向の約2kmにあって山というより
          小高い丘からの夜景観賞です。



4日目

       ☆ハウトベイからオットセイの島、シールアイランドを船で観光

 ◇ ドイカ島(別名シールアイランド)行きの船は、ハウトという小さな港から出航し
   ドイカ島まで約10分。     料金は大人55ランド(550円)。
  島という名前はあるがそんなに大きな島ではないし、
  上陸するような場所も設けられていない。    島の住人は怪獣の中間のオットセイだけ、
  ビロードのような茶褐色の毛皮の着た成獣が岩の上で日向ぼっこをしている。
  南アフリカオットセイはアシカの一種で、主食は魚、貝、タコなど。体長は1,2m~ 3m、
     雄は雌より大きく300㎏まで成長するようです。
  時速17kmで泳ぎ、主な敵はサメ、シャチ、人間だそうです。
  オットセイは高価な毛皮や陰茎や睾丸が精力剤の漢方薬材料として珍重された為
  乱獲により激減しました。  その為1973年に海鳥、オットセイを救う法律ができて、
  それ以来保護されて今ではのんびりと生きているそうです。

   

4日目

     ☆大西洋とインド洋が出会う喜望峰とケープポイント観光

  喜望峰はケープタウンから40km南に延びたケープ半島の突端にあります。
  半島の東はフォールズ湾です。
    喜望峰がアフリカ大陸の最南端といわれる事があるが実際には東南東へ
  150km離れているアガラス岬  が最南端である。1497年にヴァスコ・ダ・ガマが
  この岬を通ってインドに到達したのは有名です。
    この岬が発見された当初は「嵐の岬」と名づけられたそうです。
  ポルトガルの王様が「これはめでたい!
    これでアジアに  進出してわが国は栄えるぞ」と大喜びして「希望の岬」という名前に
  変わったそうです。    それがなぜか喜望峰と名づけられています。




4日目

☆アフリカペンギンが生息するボルダーズビーチ観光
 
 ◎ ボルダーズビーチは、サイモンズタウン中心部から歩いて20分位で行ける
   小さなビーチです。   美しい白砂の上に、白と黒の羽毛に身を包んだ小型のペンギンが、
   約3000羽生息しています。
       ペンギンというと、すぐ南極の氷の上にいるシーンを想像しがちですが、
       ここは氷どころか砂浜の照り返しを浴びて暑いぐらいのところです。
   親ペンギンは白と黒のはっきりとした色合いのペンギン、グレーで毛並が
   ふわふわと首にマフラーを       巻いているようなペンギンはヒナのペンギンです。
   アフリカペンギンは肉と卵を乱獲され、その数が激減し1973年に海鳥、
   オットセイを救う法律ができて、 それ以来保護されてきたのだそうです。

 ◎ 園内にあったアフリカペンギンの生態についての説明板。
   アフリカペンギンは南アフリカにしか生息していないこと。絶滅危惧種となっていて、
       手厚く保護されていること。敵はシャチ、サメ、カモメ、野生動物など。卵を2個産み、
       38日~42日でヒナとなり3ヶ月で幼年期、1年で毛が黒く生え替わり成鳥となる。
       水面を泳ぎの延長で低く飛んだり、狩りをする時は深く潜ったりできる。
       数頭で魚を取り囲み追い込んで取るなどの生態についての記載がありました。

4日目

   これで4日目の観光終了です。夕食はレストランで! 夕食後ホテルへ ケープタウン泊


5日目

☆ 今日はケープタウン空港からヨハネスブルグへ向かうため、朝5時45分ホテルを出発。
   ホテルでは朝食のお弁当を用意してくれました。
      この朝食を慌ただしく空港のロビーで頂きました。
 ケープタウン国際空港 07;30 発   空路、ヨハネスブルグへ (所要時間約2時間)
 
 ヨハネスブルグ国際空港 09:30 着  到着後、ヨハネスブルグ郊外のソウェト地区の
 ネルソンマンデラ元大統領の元住居と、ヘクターピーターソン記念碑観光。ソウェト地区

 ☆ ソウェト地区は、アパルトヘイト時代には、当時の政府により南アフリカ最大の
  黒人専用居住区としたつくられた街で、反アパルトヘイト運動の中心地でもありました。
  1976年6月16日、ソウェト大規模な反アパルトヘイト暴動が起こった。
   事件の発端は黒人の学校で「白人の言葉であるアフリカーンス語を
  強制使用」することであった。
  黒人はズール語(東部)や、コサ語など9つの言葉を持っており、
    アフリカーンス語はアパルトヘイトを強化した政府の言語と考えられていた。
  南アフリカ軍隊が黒人の一般市民に発砲し、死者700人 負傷者4000人以上を
  出した事件であった。
  最初の犠牲者、となった当時13才のヘクタピーターソーンが抱きかかえられるパネルは、
    アパルトヘイトの悲惨さを世界に知らしめるきっかけとなった。

 ☆ ソウェト地区には3つの地区がある。グッド、バッド、アグリー。
  
  ・グッド地区は高級住宅街で、整備された道路に高級車が走り新築の住宅が
  立ち並んでいる。
  この地区はビジネスで成功した黒人がプライベートで豪華な家を建てている地区。

  
  ・バッド地区は集合住宅街で、政府によって建てられた集合住宅である。
  ヨハネスブルグの人口440万人のうち、200万人以上がソウェト地区に住んでおり、
    政府が準備した住宅では全く足りていない状態である。

  ・アグリー地区は貧困住宅街。南アフリカはアパルトヘイト後の経済成長に加え、
    2010年のワールドカップ開催で、アフリカ大陸最大の経済力を持つ国に成長した。
  経済の破たんしたジンバブエなどの隣の国から、職を求めて移民が急増し、
    このソウェト地区などのヨハネスブルグ郊外に、バラック小屋を建てて
  多くの移民が住みつくようになった。


5日目

 ☆マンデラ元大統領の元住居、ソウェト地区観光後、世界遺産スタークフォンテン洞窟へ
   向かう途中、バスの中で昼食のおにぎり弁当を頂きました。
   日本食を口にしたのは5日ぶりとあって懐かしく感じました。

 ☆人類の祖先とされるアウストラロビテクス・アフリカヌスの頭蓋骨やあごの骨の
   化石が発掘された、  スタークフォンテン洞窟観光。
  
 ☆スタークフォンテン洞窟はヨハネスブルグ北西35kmのところにあり「人類のゆりかご」
   「人類の発祥地」とも 呼ばれています。
   最初に、アウストラロビテクス・アフリカヌスの化石を発見したのは、
      1924年にレイモンド・ダートでしたが、 あまり認められなかったようです。
   その後、このことを称賛していたロパート・ブルーム博士が医師を退職し、
      1936年、70歳からアウストラロビテクス・アフリカヌスの発掘研究を始め、
   1947年に ロパート・ブルーム博士が、類人猿アウストラロビテクス・アフリカヌスの
   頭蓋骨の発掘に成功。 この頭蓋骨は「ミセス・プレス」と名づけられました。
  成人のほぼ完全な頭蓋骨が残され、450万年前から、200万年前に生存し、
  身長120㎝~140㎝、
     脳容積はチンパンジとほぼ同じ、前かがみで直立二本歩行が出来たと推測されている。
     言語能力はまだ未発達だった。現在、同化石 はプレトリアの
   ディトソング自然史国立博物館に保存されている。
   (ちなみに、アウストラロビテクス・アフリカヌスとは、
   初期のヒト科生物である猿人の一種。)

5日目


☆  世界遺産スタークフォンテン洞窟観光後、バスにて南アフリカの行政上の
   首都プレトリアへ。   「所要時間:約1時間)
               プレトリア
    ★ プレトリアは、南アフリカの行政上の首都である。アフリカ最大の都市、
    治安の悪さでは世界一、のヨハネスブルグから北に車で1時間程のところに位置する。
   今回の、参加ツアーの主な理由の一つ、プレトリアのジャカランダの花の観賞でした。
   乾季のビクトリアの滝に抱き合わせ、ても見たかったジャカランダの花。
   ジャカランダの花は春真っ盛りの10月頃、日本の桜のように花が先に咲く木です。
   日本の桜のように1週間でパッ、と散るようなことはなく、1ヶ月程楽しめる花木です。
   世界三大花木(ホウオウボク、カエンボク、ジャカランダ)の一つで、
   花ことばは栄光と名誉。
   和名では桐の花に似ていることから「キリモドキ」とも呼ばれている。
    1888年、静かな街並みのプレトリアに住んでいた、シィリアーズが原産地のブラジルから
    2本のジャカランダを輸入して、自宅に植えたのが最初だといわれている。
   今ではプレトリアの街に、7万本のジャカランダの花が街路樹とした植えられ、
   通称「ジャカランダシティ」とも呼ばれている。



 改めて、南アフリカをもっと詳しく!!

  南アフリカの「国旗の意味や由来」
 
  1994年に制定された新しい国旗。
  Yの字が横になった形は、国内のさまざまな人種や民族が、
  協調・統合されて前進することを示す。
  赤色は独立のために流されて血の犠牲を、黒と白は、黒人と白人の平等を、
  緑色・黄色・青色はそれぞれ、農業・鉱業・漁業の豊かさを表わしている。

 正式国名:南アフリカ共和国
 
 面積:121万9090km(日本の約 3、2倍)

 人口:約 5177万人(2011年)
 
 首都:南アフリカは首都が 3つ。
    南アフリカ最大の都市の経済都市にして国際空港もある
    ヨハネスブルグ( 人口389万人)を
    首都と勘違いしている人も多いがここは経済の中心地に過ぎない。
   行政府の首都:プレトリア(人工約 74万人)
   立法府の首都:ケープタウン(人口約 374万人)
   司法府の首都:ブルーム フォンテン(人口約 26万人)
 
 通貨:南アフリカ・ランド  補助通貨:セント

 これで、5日目の観光終了です。そして南アフリカの観光も終わりです。 
 
  観光後ホテルへ    夕食はホテルのレストランで
        (シェラトン プレトリア泊)   


6日目

  ☆ 今日はヨハネスブルグ空港から、ジンバブのビクトリアフォルズ空港に
     向かう為、早めの朝食を済ませ、
     7時半にプレトリアのホテルを出発。(所要時間:約1時間)

   ヨハネスブルグ空港発 10時50分 空路ビクトリアフォルズ空港へ
   (所要時間:約1時間45分)  

    全員が着席した途端・・・シューツという音と共に強烈な臭いが! 
    な~なんと、CAさんが頭の上から殺虫剤を振りまいていたのです。
    (しばらく機内はこの臭いが充満していました。)
    ジンバブは、蚊が原因とされるマラリアの流行地だからでしょうか?

   ビクトリアフォルズ空港着 12時35分

   ☆ ジンバブエの入国にはビザが必要で、パスポートにビザを貼り付け
   長蛇の列に並んでいると、スーパのレジでバーコードを打つ感じで、
   おでこにピィッーと!!
   全員、熱を計られました。やはりエボラ出血熱の流行の最中だったからでしょうか?
 
   ☆ ビクトリアフォルズは世界中から訪れる有名なな観光地ですが
    空港の造りはいたって簡素なものでした。
     入国手続きの窓口も二ヶ所しか無く、入国迄に約1時間以上待ちました。
     又、機内預けの荷物を受け取るターンテーブルも無く、
     建物左手に大きく開いたところから、係員2名がスーツケースを受け渡します。
     スーツケースが出てくるまでにかなりの時間がかかりました。

   ☆ 空港からバスで約20分でホテルに到着。
      ホテルの周辺は少しお店がありますが、
      夕方以降は絶対に外出しないように、との注意がありました。
  
   ☆ ホテルに着いて、スーツケースのカギが壊されているのに気がつきました。
     スーツケースの中がぐちゃぐちゃに荒らされていたが、貴重品は手荷物で持っていたので、
     被害は最小限で済みました。
     早々フロントに連絡すると、待機していたかのように飛んできてくれました。
     修理する係の人がいてるらしく、手際よく直してくれた。「応急措置」
     こういう事、日常茶飯事に起きているんでしょうか。
     やっぱり、ここはアフリカでした。

   ☆ ホテルで少しの休憩をはさみ、今日のメイン観光である、
     ザンベジ川のサンセットクルーズ観光へ。
     バスで、3時30分にホテルを出発。
     ザンベジ川はアフリカ南部のザンビアとジンバブエの国境を流れ、
     6ヶ国を通ってインド洋に注ぎます。
     途中には世界三大瀑布のビクトリアの滝もあります。
     全長2750km、ナイル川、コンゴ川、ニジェール川、に次ぐアフリカ大陸で
     4番目の長さの川である。


国旗


国章

   改めて、ジンバブエをもっと詳しく!!
   ジンバブエはザンビア、ビツワナ、南アフリカ共和国、
   モザンビークと国境を接するアフリカ大陸南部の国です。
   国土には川や湖もあり、雄大な自然にも恵まれた国で、
   およそ1世紀のイギリス植民地時代を経て、
   1980年にジンバブエ共和国として独立した。
   2008年には経済の悪化と物価の高騰により、
   人口の約半数である約700万人の国民が、
   国際社会からの食糧援助に頼わざるを得なくなった。
   その後2009年2月ジンバブエドルから米ドルへの移行を経て、
   経済は徐々に安定を取り戻している。

  正式国名:ジンバブエ共和国
  首都:ハラレ
  面積:39万k㎡(日本よりやや大きい)
  人口:1372万人(2011年)
  
  「ジンバブエの国旗の意味や由来」

   国旗:緑は農業と繁栄。
      黄色は鉱物資源と富
      赤は独立闘争で流された血
      黒は国民
      黄色の鳥:グレートジンバブエ遺跡にある石彫の鳥で、
      ジンバブエのシンボルとなっている。
      赤の星:国家の希望
      白の三角:独立後の平和

  経済:農業、工業、観光など空前のインフレーションが続いている。
  通貨:米ドル、ランド(南アフリカ)


7日目
























国 旗


国 章

 今日はジンバブエのビクトリアフォルズから国境を越えて隣の国ボツワナのチョベ国立公園へと向かい、
  午前はゲームドライブ、午後からはボートサファリを楽しみます。

☆ マイクロバスで8時頃ビクトリアフォルズのホテルを出発。
  ボツワナの国境まで約70㎞、約1時間で到着です。
 
☆ ジンバブエの出国ボツワナの入国は、順番にスタンプを押してもらうだけで簡単にすみました。
  ボツワナの検問所では、消毒液の上を歩き靴の裏の消毒を行いました。
  車も消毒液の水たまりの上を通過します。
  これは口蹄疫の予防のためです。

☆ ボツワナで迎えに来ていたジープに乗り換え、チョベマリーナロッジへと向かいました。

☆ チョベ国立公園は、ジンバブエやナミビアの国境近くにあり約1万500㎢(日本で7番目の面積の県である
    岐阜県とほぼ同じ)
  の広大な面積をもつ動物保護区です。
  園内はアフリカ大陸の野生動物密集地帯ともいわれ、特にゾウの生息密度は世界一、
    その数は約5万~7万頭いるといわれています。
  アフリカ大陸の中でも、最も簡単にゾウの大群に出会える場所のひとつとされています。

☆ アフリカでビッグ5といえば、ライオン、ゾウ、ヒョウ、サイ、バッファローの5頭を指します。
  もともとはゲームハンティングの獲物として大物ベスト5、ということだったそうで、
  最近は動物を見るだけのサファリーなので、
  バッファローに代わってチータががその地位についているという。
  会えたら嬉しいベスト5ということだそうです。

正式国名;ボツワナ共和国
首都:ハポロネ
面積:58万㎢(日本の1,5倍)
人口:203万人
国旗: 青:恵みの雨
    白と黒:白人と黒人が協力し合い平等な社会を建設する。
主要産業;ダイヤモンドなど鉱産、観光、農業、牧畜
通貨:米ドル
 
  ボツワナはアフリカの優等生ともいわれ、政治経済が安定している。





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